日記

今日のデイケア作業療法士の前で泣いてしまったことを思い出して泣いてる。

なんとなく、自分の様子から、泣いたのは相手に構ってほしいから、被害者ポジションでいたいから、支配したいからの可能性が出てきて、そうなるのは本当に無理なので悲しい。

昨日は眠るのが遅くなって、調子が悪いまま行くよりも休んだ方が絶対に良いのに断りの電話を入れるのが怖いのが情けなくて、がんばって行って、知らない利用者さんが何人か増えていて、実習生も何人かいて、いままでは私だけの時間だったのだ。男の人(おそろしい)もいて、あちこちから薬とか妄想の話が聞こえてきて、週に一度の通院さえも難しく感じているのが情けなくて、なんか、たぶんそんなふうになって、隣に座った作業療法士さんが、先週は何か楽しいことありましたかと言った途端、ブワーと泣いてしまう。別室に移動しても泣いていて、困ったように座っている作業療法士さんの気持ちを思い、働いていなかったとしても、せめて人を嫌な気持ちにはさせないでおこう、それだけは私は必ず守らなくてはならないと強く念じていたことがぜんぶ崩れ、私が、何度も力を吸い取られ、干からびるまで辞めず、それでも足りないという人たちと同じになってしまったことに耐えられない。最近人と話しているときに急に泣くみたいなことが何度かあって、自分にも分からないタイミングで込み上げてくるので謎だったのだけれど、疲れているだけでありますようにと願っている。不幸の味を占めて、泣くことで愛してもらえると覚えてしまったのであれば、私は存在してはいけないので。とりあえずたくさん眠らなくては。たぶん、私にとって泣く=恥ずかしいこと、嫌われることみたいには何となく思っているので、うーん、違うと信じたいけれど、相手や場所を無意識に察知してそれに沿った行動をしてしまうことが割とあるから、可能性はある。私は、TPOに合わせて動くことができるので、びょういんでは弱者でいなければ、と本気で思っていそう。私がこんなふうになってもまだ私を許してあげられているのは、自分の要望や欲を伝えるとき、言葉という手段を使えていることや、自分で背負うつもりでいること(つもりになってるだけかもしれないけど)が大きい。飛び散る油ではなくて、干からびた魚でいたいのだ。なれていないかもしれないけれど、不可能だったとしても、この先も私はそうなることに全力でいなければならない。そうしないと生きる許可をあげられないので。