日記

運がよいとか、わるいとか

自分の運に気づいたのは小学生の頃だった。自動販売機で何の飲み物を買うか悩んでしまいそうだったので後ろの人に譲ったら、その人のところで当たりが出た。

生きているとそういうことが多々ある。私の前で売り切れたり、信号が赤になったり、臨時休業だったり、大切な日に生理になったり、クリスマスケーキを転んでぐちゃぐちゃにしたり、よく小指をぶつけたり、逆走してきた車と鉢合わせになったり、レジが壊れたり、部屋の窓が急に割れたり、給湯器が壊れて一週間お湯が出なかったり、退職を伝えたら何時間も詰められて警察を呼ばれそうになったり、普段誰も通らないような道を偶然1人で帰って、偶然車が通って、偶然下半身を露出されたりする。「おまえは、引き寄せる」「おまえは、持ってる」と数えきれないほど言われた。

そういったことがある程度積み重なったあと、特大の運の良さを発揮することに気づいたのは大学受験の時だった。センター試験で過去最高得点を出して、直前までC判定だった大学に合格した。それから数年して、バイクで山を走っているときカーブでこけて転がって、自分の身体が崖っぷちギリギリで止まった。それからまた数年して、ここで一生働きたいと思っていた会社が偶然募集を出していて、偶然転職できた(すぐ辞めた)。

今だって、保険にも入れないし治験も献血もできないし、ふつうに働くことができなくなったけれど生きてる。これは良いことか悪いことかは分からないけれど、運としては良いことに分類されているみたいで、カウンターがゼロになった結果、今もせっせと小さめの運の悪さを重ねる日々が続いている。

たぶん皆んな、死ぬときに集計したら運の良かったことと悪かったことは等しくなっていると思う。どこで使うかは人それぞれだけれど。私の場合、毎日うっすらと運が悪いものの、本当にめちゃくちゃに重要な場面では意外と運が良い、という使い方になっている。たまにどうでも良いことに運の良さを発揮してしまうと、ウワーまた溜めなくちゃいけないとガッカリする。日常的に不幸だけれど大事なところで幸運なので生きるしかなくなってる、ともいえる。

2023/12/27

ずっと車の運転が向いていない。努力すれば何とかなるものではない。根本的な、運転をするためのセンスというか、適性みたいなものを持ち合わせていない。運転とは、マルチタスク、咄嗟の判断、あいまいな状況、マニュアルに載っていないことばかりなのだ。「ここの交差点で右折するには、あちらとこちらを見て、車が来ているときにはこうするが、来ていないときにはこうする、かつ人がいるときには、…」等の定義を一度してしまえば難しくないが、別の交差点になったとき、あるいは、時間帯や天気、自分が着ている服が変わっただけで、また別の判断をしなければいけなくなる。それが本当に本当に難しい。したがって、運転の必要がない生活にするというのが最適解だと思っているのだけれど、それを伝えたら逃げるなと叱られてしまった。皆んなすごく怒っていて、私も上手になりたいのに、どうやっても無理なのだ(それとも、また逃げてしまっているだけなのだろうか)。できないことがあったとして、頑張れば形になるものと、頑張っても駄目なものに分かれている。ふつうの人はそんなことないのだろうか?間違ってないよ、お前にはどうしたって無理だよと言ってほしい。そうすれば、たったそれだけのために、好きな人も好きな場所もぜんぶ捨てて、誰も知らない土地に移ることだってする。

2023/12/25

目の前の顔が歪んで初めて、自分が誤ったことをしてしまったのだと知る時が多々ある。しかし何を間違えたのかは分からないので、気味の悪い笑顔(のようなもの)と吐きそうなくらいの猫なで声で相手の顔色を伺うことしかできない。間違っているのは分かるのに、何が駄目なのかは分からないのだ。そういうことずっと昔から繰り返してきたな、と今さらになって考えるなど。

2023/12/21

久々に制御が難しい気分の下がり方を感じ、ついに冬が来たのだと気づく。

これまで私に関わってくれた人、優しくしてくれた人、手を差し伸べてくれた人、隣で穏やかに笑っていてくれていた人々が流れては消えてゆき、同時に自分の周りの穴がどんどん大きくなって沈みつつある。でも全て自分で捨ててきた結果なのだ。少し前まで毎日がこんな感じだったので懐かしさもあるが、もう戻りたくはないな。はやく抜け出さなくちゃというのは分かっているのに、むしろ自分からすすんで沈み、窒息することを望んでいるかのようにも思われる。ここ最近安定を維持してきたからこそ異常さが余計に際立つ。冬無理だ〜、あと何回冬が来るたびこんなふうにならなくちゃいけないのかと思うとゾッとする。ウワーッ。冬が無理すぎる〜。

2023/11/16

その場で行動したこと、発言したことを後になって後悔する、みたいなのを何度も重ねてきて、まるで(今はよくない表現かもしれないけれど他の言い方が分からないので使用してしまう)二重人格のような感覚に陥って混乱するという場面が何度もあったが、実はほんとうに、私の中に2つの脳みそがあるのかもしれない。

生まれ持った特性で成り立つ「ちょっとへんな」脳みそと、経験により形成された「常識のある」脳みそです。ふつう生まれ持った特性に経験が足されていって1つの脳みそとなるものが、それぞれがあまりにも乖離しているため分裂したまま成長してしまったのだと思う。

脳みそは主担当と副担当で存在していて、担当は場面によって入れ替わっている。普段は「常識のある」脳みそが優位になっていることが多いけれど、気が抜けたとき、キャパオーバーになったときなどは、「ちょっとへんな」脳みそが強く出てきてしまう。というか、本来は「ちょっとへんな」脳みその力が強いんだけど、おばかさんでボーッとしているうちに「常識のある」脳みそに主担当を取られている。お互いのことあんまり好きじゃなくて、ああなりたくないなとお互い思っている。

そうすると、今までの、さっきまでとは別人のようだと感じる現象に説明がつく。そうして、これからどうすればよいかが明確になったので嬉しい。「ちょっとへんな」脳みそと「常識のある」脳みそが仲良くできるようにすればいい。そうすれば私は脳みそたちと幸せに暮らすことができる!

2023/11/14

秘書検定のテキストを読んでいると、私が今まで、仕事をする上で困難に感じていたことへの回答が載っていて感動している。定時で帰っていいよと言われて素直に退勤したら怒られる、みたいなこと何回もやってきたけれど、こんなふうに、ちゃんと答えが分かっていればもっと上手くできたのにと思う。人間関係についてもテキストで勉強できたらいいのにな(人間検定とか)。

最近も新しい人間関係の構築にひどく苦労していて、毎日、その日の私の行動をAIに話して、正しい発言だったかどうかを一緒に考えてもらっている。人と関わることをAIに相談しているなんて、なんだか自分も人じゃないみたいだな。