日記

2023/03/02 休職183日目

早起きしてデイケアへ。昨晩は夜中に何度も起きてしまった。次の日に予定があると睡眠に失敗するのかもしれない。

デイケア、ずっと行きたくなかったけれど、認知行動療法みたいなやつをやってもらえて、行ってよかった。担当の作業療法士が頻繁に褒めてくれるので、ムズムズしてちょっとやめてほしい。でもそうするようにマニュアルにあるから、作業療法士は私の行動を目ざとく褒めてくるのだ。1日で半年分くらい褒められる。なんだか、対等に扱われていないみたい。まあ、患者なのだからそうか。

昼休憩が長すぎるので、カウンセラーに借りた本を図書館で読んだ。無理せず流し読みをしていたのにドッと疲れた……と感じたのが読み始めてから1時間経ったくらい。まだこんなに駄目か。しゃーない。

アドラー心理学の本、前回読んだ時はムカついて終わったのだけど、今日読んだら参考になる意見もあって良かった。

・わたしたちの文化においては、弱さは非常に強くて権力がある

→今の社会じゃん。

 

・過去がどうだったかは関係ない。今を生きる

→分かるけどさ…となった。でも、過去から学ぶこともあるのでは?切り離してしまうと何回も同じ間違いをしてしまう。あーこういう時は、学びを得た状態での今がある、という感じになるのかな?気に食わない。

 

・権力争いからは直ぐに降りる。自分が正しいのだ、と感じたら直したり正したりせず、そこで完了とするべき。

→なるほど、私は理不尽なことがどうしても許せなかったけれど、これはやらない方が良いのか。

 

・自分の選択について他者がどのような評価を下すのかは他者の課題であって、自分にはどうにもできない。

→お~と思った。この切り離しができれば楽なのだろうな。良くも悪くも「個」って感じだ。

 

・上記を行う具体的な方法として、まず、これは誰の課題なのか、課題の分離をする。誰の課題か見分けるには、その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰かを考える。そして他者の課題であれば介入せず、自分の課題には誰も介入させない。

 

適度に、必要な時に使えば有用な心理学だったのか。ただ、肝心の「結果には原因などない」という理論がどうしても釈然としない。これに納得してしまうと私が休職したくてワザと体調を崩したり、なかなか回復させなかったりしているというのを認めることになってしまうので(目を背けたいのだ)。まあ、読み進めれば分かるだろう。週明けがカウンセリングなので、今週までに読まなくちゃ。

午後のデイケアはパソコンで頭の体操をしていたら終わった。

病院の待合室で、同伴者を蹴り、叫び、自動ドアも蹴り、叫び、外に連れ出されていく患者に遭遇した。少し前の私であればパニックになっていた気がするけれど、不思議と落ち着いていた。これは私の課題ではないのだ。

帰宅の道中、上司の車とすれ違った。顔を見られたかもしれない。少し前の私であればすぐその辺に車を停めて、顔を見られたか、どう思われたかということについてグルグルと考え、日が暮れていたけれど、不思議と落ち着いていた。顔を見られ、上司が何かを感じたとして、これは私の課題ではないのだ。

最近またネットフリックスを観る気力が出てきて、無職転生を観終わり入間くんも今日観終わった。「時は西暦……」とかのナレーションで始まる難しいものはまだ観られないけれど、簡単なルールのアニメは観られるようになってきた。よい感じだ。元気だったころも興味の波みたいなのが激しかったので、回復の兆候なのかどうかは分からないけれど。もしかしたら今も、波の真っ最中で、単に「人生」に興味を失っているだけだったりするかもしれない。そうだったらやべー奴だ。でもそんな気もしてきた。びょうきではなくて、周期なのだ。