日記

2024/03/16 休職197日目

めずらしく仕事の夢を見た。とても大変な思いをしていた気がする。

人の家に泊まったが別々に眠ったら割とまとまった睡眠が取れたので克服しつつある。

夜中に何度も目が覚めて、その度にそばに誰かが立っているのではないかという予感がして動けなかった。

朝、デイケアの時間までマックでコーヒーを飲んでいたら泣きそうになった。ふと今日は無理かもしれないと思って、そう思ってしまったらたちまち無理なことが真実となってゆく。

午前中は作業療法士認知行動療法を行う。具合はどうですかという問いに良くないですと答えて、心が折れたこと、びょうきではなくて甘えだという気持ちが強いこと、だから今まで色々やってきたことは全て無駄みたいな気がしていることなどを話しているうちに泣いてしまう。構ってもらうために泣いているのだろうから嫌いだな。認知行動療法の最中も駄目な自分が浮き彫りになっているようで何度か泣いた。ハァー。気持ちが悪い人間。

間違えてWISCの本を借りてきてしまったことに気づき(どうりで分かりにくいと思った、お茶目すぎる)作業療法士からWAISの本の場所を教えてもらった。お金を払っているのでこんなに優しくしてもらっても不安にならずにいられてる。

午後は午前中の復習をして作業療法士と今日から1週間どのように過ごす、なんて話をした。改めて口に出してみたら掃除をするとか洗濯するとか、お風呂に入るとか、そういう当たり前のことばかりを努力してやらなくちゃいけなくて、うーんなかなかにアレだな。

論理療法の本を読み流し終わった。ぜんぶ忘れたので時間がある時にもう一度読まなくちゃ。

今日の認知行動療法の流れで気付いたのだけれど、私はよく架空の「普通の人」と自分を比べて辛くなっているけれど、普通の人と同じように出来ないからしんどいのではなくて、しんどい理由を“普通の人ではないから”、と定義づけて安心している節がある。この辺がアドラー原因論と目的論かもしれなくて、初めて腑に落ちた。

帰宅中、また会社の人とすれ違った気がしてもう外出が無理になってしまいそうだったから、メガネ屋さんへ寄ってカラーレンズを物色してきた。でもすごく高価で、働いていない身にはキツい。それにメガネなんて目が足りないほどたくさん持っているのだ。

メガネは諦めてウィッグを買った。これにマスクをしていればバレない、というか、自分の気が収まると思う。考え方が間違っているというのは何となく分かってる。しゃーない。

家に帰って仕事のことを考えていたらまた泣いてしまった。何も思い通りにならなくて辛すぎるけれど、神さまじゃないのだから自分の思い通りになるわけがない。と、今日読んだ論理療法の本に書いてあった。上手く行かないけれど、そんなもんだよな、とか思えるようになりたい。思えていれば良かったのに。過去のことはもう考えても意味ない。