日記

ツイッターこわい

ツイッターはこわい。心身共に疲れ切っていても、タイムラインの文字はするすると目の中に吸い込まれていく。暇だなと思ったとき、読書や運動などは「さあ、やるか」という気持ちになってからじゃないと取り組めないのだけれど、ツイッターなら気軽に時間を消費できてしまう。
 ここ最近「疲れてるけど、時間を潰さなければならない状態」が多かったので、何となくツイッターを見る頻度が上がっていった。興味のある人をフォローして、自分にとって(都合の)いい情報ばかりを得る。しばらくタイムラインを見ているうちに、自分もツイートをしたくなってくる。そのあと、自分のツイートにどんな反応が来ているのか気になって、またツイッターを覗いてしまう。そんな感じで、知らないうちにどんどんツイッターから離れられなくなっていった。
 スマホにアプリごとの使用時間を確認できる機能があって、先日、1日のツイッター使用時間が8時間を超えていてゾっとしてしまった。睡眠と仕事の時間以外は、ほぼツイッターを使っていたことになっている……。もはや、ツイッターが私にとっての世界の全てだ。
 今はほとんど1人で過ごしているので、ツイッター=外の世界となっても仕方がないのかもしれないけれど、それは非常に危険だと思った。ツイッターは、見たくないものを簡単に見ないようにできてしまうので。普通の人なら、むしろそうやって使っていくべきだと思う。インターネットは情報に溢れすぎていて、自分にとって有益なものかどうかは自分自身で取捨選択していかなければならない。ところが、現実の世界では簡単には取捨選択できない。嫌な人は必ずいて、でも生きていくためにはそういう人とも上手くやっていかなければならない。だからこそ、インターネットくらいは、甘々でもいいと思う。
 対して私は、現実世界でも嫌な人とは極力関わらないようにしていて(というか人と関わることが滅多にない)、さらにはツイッターでも今のところ敵に遭遇していない(万が一敵がいたとしても、親指ひとつで排除できる状態にある)。何をしても承認される、肯定されている(ように感じているだけかもしれないけれど)環境に身を置いているのは、心地よい。ぬるま湯にゆっくり浸かっていて、次第にお湯なのか自分なのかわからないくらいにトロトロに溶けていく。ただ、そのうちに気持ちいいまま、すっかり蒸発して消えてしまうような気がして、何だかすごくこわくなってしまった。
 とりあえず、ツイッターからのインプットを少し控えて、代わりに読書や散歩などで外からの情報を得ようと思っている。ただ、あいかわらず承認欲求はべらぼうに強いので、文とか絵はインターネットにガンガン載せていきます。すみません……。でもやっぱり、最終的にはツイッターのタイムラインみたいな世界に身を置きたいな。相手を否定したり否定されたりするのは、すごく疲れるし、辛いので。