日記

2023/11/05

変化を迫られるたび憂鬱になる。既に出来上がっている場所に馴染むことはまだマシで、皆んないっせーのでスタートするのがめちゃくちゃに苦手なのだ。ぜったいに転ぶので。クラス替えのあと、教室でお弁当を一緒に食べるグループが作られるまでのソワソワに似ている。

それに向けて徹夜で服を選んだ(どうやら数年は服を買っていなかったらしい。仕事では同じ服を5着買って着ていた)。結婚することも決めたので自分の好きなものではなく似合うもの、かつ相手に好印象を与えるものだけ購入したために虚しさを感じるが、それが歳をとること、結婚することなのだと自分を戒める。

ただ、さっそく薬指に指輪をつけた同性を好きになりかけていて、先行きが不安すぎる。

2023/10/30

自分に期待して自分に裏切られては、どうして普通の人みたいになれないのだろうと悩んでいたけれど、自分はそもそも普通じゃなかったらしい。と、最近になってようやく気がついた。

これまでも自分が普通の人生を送れていないことはちゃんと知っていたのだけれど、なんで普通になれない?と常々思っていたのは、自分は普通なのだと心のどこかで信じていたからということになる。

最近それらに気づいた中で特に衝撃的だったのは、私は今まで相手の気持ちが良く分かる人だと思っていたのに、本当は、相手がこういう表情・身ぶり・言葉遣いの時はこう考えている、というマニュアルをたくさん、頭の中に保存しているだけだったということで、実は相手の気持ちなんて何にも知らなかったのだ。

どんなに頑張っても普通の人になれないと分かった時、絶望するかと思っていたのにそうでもなかった。そもそも無理なことだったのであれば、こんなふうになっていても仕方がないか、という穏やかなあきらめだけが残っていた。例えば、皆ならやらない失敗をしてしまったとして、今までなら自責がひどかったけれど、きっとこれからは、そんなもんかで納得できるような気がする(そうなれたらいいのにな)。ただ、私は、自分の良くない部分を、自分の特性のせいにするような存在をひどく弱くて、嫌なものとして見ている。が、そうすることの気楽さ・快感を知って、少しずつ嫌悪感が緩和されてきている。そうして私も、それらに段々と近づいているのが分かる。

2023/06/17

強迫観念を抱くことへの治療として最悪のストーリーを書き出す、ということを教わったんだけど、めちゃくちゃにしんどくて修行すぎる。

最悪のストーリーとなると、毎日脳内では私のせいで家が燃えたり、人や犬が死んだり、お金を全て失ったりするのだ。想像力は豊かなので、全焼して黒焦げになった建物とは対照的な青い空や、痙攣して泡を吹く犬の姿がハッキリと浮かび上がってきて、どうにも苦しくて途中でやめてしまう。でもこれを毎日30分くらい繰り返さなくちゃならないらしい。この治療法誰が考えたの?地獄すぎる。というか、考えすぎて現実もその通りになってしまわないのかな。それに、仕事を始めたら会社の鍵を閉め忘れて泥棒が入ったとか、書類の郵送先を誤って損害賠償を支払うとか、そういうのも追加されてくるだろうし、詰みじゃん。

2023/06/15

ずっとヤマダ電機のテーマが脳内に流れ続けているのなんでかなと思ったら、今朝出かける準備しながら耐久動画を流していたんだった。そんなに簡単なことで脳みそに染み付くならば、きっとどんなことでも変えられるはずだよな。

朝は起きるのがなかなかにキツかったけれど時間が経つにつれて穏やかになってきた。昨日までの不安の嵐は消え去り、そばに水を飲みにきた鳥の羽並まで鮮やかに映る。

昨日まではもう自首するしかないとまで思っていたのだ(何の罪で逮捕するんだ、という感じだけれど)。もしかして訴えられるかな→逮捕されるかもしれない→逮捕されて、全てを失うことになる と変換されていったのだと思う。

暗い話はやめよう。今日、作業療法士さんに私の長所を聞かれたとき、食べ物の好き嫌いがないところだと答えたら(これが唯一、私が自信を持って言える長所で、そのほかの特徴は生きづらさを発生させているのであんまり好きではない。それに、食べ物の好き嫌いがないと言う程度が、相手に自慢と取られ、不快な思いをさせないのだと学んでいた)、それじゃ、人の好き嫌いもないのではと言われ、たしかに、人に対して特別に嫌いとか思うことないなと気づく(作業療法士さんの持論では、食べ物の好き嫌いがない人は人の好き嫌いもないらしい)。人の好き嫌いがないことで悪い結果になった場面しか思い出せないけれど、でも、好き嫌いしなかったおかげで、誰かのためになっていることもあれば良いなとも思う。

もうひとつ、津山さんは、いつも態度が変わらないところが良いですねと言われて、アーがんばって生きててよかったと思いました。常に私のそばには、機嫌や忙しさなどで態度を変えたり、露骨に出したりする人たちがいて、それで全てだめになったとも言えるので、それらのように自分がなっていなくて安心した。今日言われたことは、大切に脳みそに取っておこう。作業療法士さんに、今までにどんな場面でどのように褒められましたかと聞かれた時、なんにも思い出せなかったのだ(唯一、後になって、TPOに適した服を着てるねと言われたこと思い出して、でもそれはもう5年とか前の話だ)。褒めてもらえたこと、自分では嫌な部分だと思っていたとしても、ちゃんと受け入れてありがとうと言いたい。

そんなことを1時間近くかけてデイケアでやっているので、最近、利用者が増えてきたのに作業療法士さんを独り占めしているみたいで何となく落ち着かない。次に行ったら、もう少し短めで大丈夫ですと言ってみようか。作業療法士さん、私でも普通に心を開けていて、やっぱり専門的知識がある人ってすごい。その人と話していてもあまりエネルギーを消耗しないので、よい作業療法士さんに担当してもらえているなと思う。

昼過ぎ、瞼の裏にプツプツとしたものができているのを発見して、最近目がずっとゴロゴロしているのもあり眼科へ。先生(好き)に、あんまり気にしなくてもいいよ〜と言われて顔から火が出た。同じ理由で先月も診てもらっているのだ。

夕方、人からの出産報告で精神が乱れて(前回の記事参照)、夜、半年くらい連絡を返せていなかった人からご飯のお誘いがあった。半年も返信していないのにまた連絡くれるの優しいなと思う。というか、半年後にくれるというのが本当に優しいなと思う。断ってしまったけれど…。元々そういう性格だという説は否めないが、少なくとも、数年前に無職だった時は、誘われたらぜったいに行っていたので、これも元に戻るのだと信じよう。こんなに優しくしてもらえたら、以前の私であれば結婚してほしい、などと書いていただろうに、今はどう考えてもお荷物で迷惑をかけることしかできないので気軽に言えなくなってしまった。何もしないデカめの物体が家にずっといるなんて、犬よりもたちが悪いので。

今の状態、

出産報告のLINEを開く←なんとか努力すればできる

お祝いのLINEを送る←すごくがんばったらできる

出産祝いを贈る←めちゃくちゃにがんばらないとできない

なんだけど、ちゃんと全部やろうとしているの、えらい。

気持ちの面もあるけれど、それらがすごく複雑な作業に感じてしまう。

例えば、お祝いのLINEを送るとき、文章の構成はどうか、使ってはいけない言葉が入っていないか、絵文字は適切か、相手が不快な思いをしないか、これ以上話が続かないか、などを考えて送らなくちゃいけない。

出産祝いとなると、いつからいつまでに送るものか、予算はどのくらいか、相手に希望を聞いてもよいのか、何が適切か、どこで買うか、その商品は品質に問題ないものか、住所は変わっていないか、いつ頃送るのが都合よいか、メッセージカードはどうするか、そのほかたくさんのことをやらなくちゃいけなくて、頭がパンクしそうになってる。

おめでとう❗️ハッピー❗️の素直な気持ちだけまっすぐに届けられたら良いが、大人はそうもいかないよな。

元気だったころは、おめでとうの気持ちがあふれてワクワクしながら都会のデパートでお祝いを買って、お家に遊びにいって小さきものの重みを腕で感じさせてもらったのだった。なので、ちゃんと治ればちゃんと手順を踏んでおめでとうと言えるはずだけれど、今は精いっぱい、LINEの返信と、形だけでもお祝いを送る選択ができて、相手に何も事情を知られずにいられているので、すごくがんばったと思う。たぶん、ケーキを買っても良いくらいがんばった。えらい。

2023/06/14

春というボーナスタイムを活かせず、梅雨に突入してしまい、次のボーナスタイムの夏になるにはまだ時間がかかる。夏もすぐに終わり、そうしたらもう耐えるしかない冬になる。

今日も自分が犯罪者になる可能性について考えていた。一度結論付けてもまた最初からぐるぐるしてしまう。2日間たっぷり心配して、やっと他責思考への割り当てと、客観的思考を思い出した。これをすぐに導き出せるようになれたらよいのに。

当分の不安は、人に危害を加えたり(死なせてしまうのではないか、ということ)お金が全てなくなったり、自分が社会的に終わったりするというところに集結するものばかりで、その通りになったらどれも恐ろしいことになる。なので、先日教わったように、不安の90%は起こらないと考えようとしても、10%の確率で人を死なせてしまうのかと思うと、なかなかに高い確率のような気がしてくる。

とりあえず私が犯罪者になったとしても、困るのは私だけなので、まあ、あまり気にすることではないのかな(と、今になってやっと気付く)。

まずはインターネットを辞めようと思いタイムロッキングコンテナを注文した。現在ネット検索により知識を得ることが快感となってきており、目をギラギラさせながらネット記事や特定の議題における多数の人々の意見、論文などを読み漁っていることが多い。

次はなるべく外に出ること。車の中から出られなかったとしても、玄関から出るようにがんばる。

あとは毎日シャワーを浴びること。

 

不安になるのは自分のことを完璧だと過大評価しているからなのかもしれない。自分なら絶対に火事を起こさないし、人を轢かないと思い込んでいるのだ。いや、自分は火事を起こしてはいけないし人を轢いてはいけないというほうが正しいかな。けれど絶対などないのだ。ただ私がそれらのことを起こしたら存在してはいけないと思ってしまう。

そういえば休職する前も似たような行動を取っていたのを思い出した。会社の鍵を閉め忘れたのではと1時間かけて戻ったり(上司の家にわざわざ鍵を取りに行ってまで)、郵送物の中身を入れ間違えたのではとすでに切手も貼った封筒にハサミをいれたりしていた。直前まで何度も確認していたのに封をした途端まったく違うものが入っている気がしてならないのだ。