日記

優しい人

夜、あまりの寒さに目が覚めてしまった。ほぼ裸みたいな恰好で寝ていたからかもしれない。しばらく毛布にくるまっていたけれど、足先が冷えて眠れそうになかった。ボーっとしながらお風呂へ向かって、お湯を入れた洗面器に足をつっこんでいた。こうやって足だけ温めると、寝つきがよくなるんだよ。そうやって教えてくれたのは、昔働いていた会社の先輩だった。先輩は、上司から教えてもらったのだと言っていた。上司は、そういう生活の知恵みたいなのをいくつも知っていて、面倒見がいい人だった。仕事もできるし、皆んなからも慕われていた。誰かが残業していたら、一緒になって残るような人だった。とても優しい人だったに違いない。私には優しくなかっただけで、きっと本当はすごく優しい人だったんだよ。

辛かった時期の記憶は、次第に薄れてきている。昔の日記を読み返して、やっと思い出せるくらい。あの頃は特に、『「優しい人」』がどうして私には優しくないのかについて、息ができないほど悩んだこともあったけれど、今になれば、きっと仕方がなかったんだよな、なんて思えるようになった。優しい人は、誰にでも優しいわけではない。

どんなに優しくありたいと思っていたとしても、全ての人に優しくするなんてできない。せいぜい、自分が認識している範囲内だけ。そうして、その優しさの範囲は、家族だけとか、友人とか、同じ会社の人までとか、人によってバラバラ。「器の大きさ」とも言い換えられるかもしれない。だから、私はただ上司の優しさの範囲から外れていただけだった。認識されていないだけだったんだよ。私は受験資格すらなかったのに、一生けんめい勉強して合格を待ち望んで、番号など出るわけもない掲示板を目を凝らして見ていたらしい。相手の優しさの輪から外れた場合、どうやったらお互いが幸せでいられるか? それはこちらから距離を取るのが一番いい方法なのだけれど、それに気づいたのは取り返しがつかなくなった後だった。

何にもひどくない。誰も悪くなかった。優しくする対象を選別するのは普通のことで、皆んなそうしている。私だって、自分の意識の外にいる人にまで優しくあろうとは思わない。私は常々「皆んなに幸せになってほしい」と思っているけれど、その「皆んな」にすら入れていない人だっているわけで。仕方がない。そうやって生きなければ、すぐにやられてしまう。

私に優しくない人は、私の知らないところで、誰かにとっては「優しい人」になってる。私のことを「優しいね」と言ってくれる人は何人かいるけれど、私だって、本当は優しくないんだよ。毎日、自分だけの世界で上手くやって行くことだけを必死に考えてる。
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