日記

お盆になると思い出す人がいる

毎年お盆になると、ある人を思い出す。なんでだろうな、そのくらいの時期に死んでしまったからだろうか。いや、死んでしまったのは秋だったかもしれないし、もしかしたら冬だったかもしれない。もうその人がいつ死んでしまったのかも思い出せない。それほど親しくなかったし。ただ何年か一緒に働いていたというだけで、そして、もしかしたらその人が最後に話をしたのが私だったのかもしれないというだけで、いや、たぶんもう少し理由はあって、その人と私は似ている。

生きるのが辛そうな人だった。親切で穏やかな人だったのだけれど、おそらくそれは自分のためにしているだけで、本当は誰よりも臆病で冷たい人だったんだと思う。どうしてわかるかというと、私も同じような人なので。何となく苦手だったのは、まるで私を見ているようだったから。

毎年思い出してしまうのはどうしてかというと、その人がいなくなって寂しいとか、なぜ死んでしまったんだろうとかいうことではなくて、なんだろうな、死んだあとはどうですかと聞きたいのです。生きていたときに感じていた苦しさや辛さはたくさんあって、もちろん楽しさも少しはあったかもしれないけれど(なかったかもしれないけれど)、それを捨ててまで選んだ結果は正しかったのかな、と気になっている。

あまり仲が良くなかったとは言っても私に似ている人だし、私は人々が不幸せよりは幸せになっていてほしいと常々思っているので、その人もどうか幸せでいてほしいなとは思っている。うーん、その人は幸せになるためにそうしたわけではないと思うのだけれど、現状よりもよくなれば、それは今よりも幸せになったと言えるんじゃないかな。あとは、単純に私が知りたいんだよな。私の行動を制限している大きな要因として、死んだらどうなるかわからないというのがある。死後の世界が解明されたら世界は良くなるのか悪くなるのか……たぶん悪くなる方向へ行きそうな気はするけれど、私としては、知っていたほうがもっと効率的に生きられるのにな、なんて思っている。

もしかしたら羨ましいのかもしれない。きっと、私のできないことをやってのけたその人に憧れているんだろうな。

お盆に思い出すというのも、こちらに戻ってくると言われている時期というのも関係があるのかも。こちらが嫌で向こうへ行ったその人は、果たして帰ってくるのだろうか、とか。帰って来たくないと思うほど、向こうが楽しいところであればよいのになと思っている。きっと、死後の世界なんてものはなくて、そんなのはこちら側の人たちが考えた妄想にすぎないのだろうけれど、どうしてもあってほしいんだよな。サンタさんなんていなくてもいいし、灰をまいたら花が咲かなくてもいい、そうあれば素敵だろうなとは思うけれど、そんなことがなくても頑張ってみせるので、せめて死んだあとの世界くらい、本当であってほしいなと思っている。

まあ、仮に死後の世界があったとしても、私はきっと簡単には天国へ行けないだろうけれど、たぶん誰も(あんまり)傷つけてはいないので、頑張れば多数決とかでどうにかなるような気もしている。そういう時のために、普段からクモを助けるようにしているし。