日記

遠藤周作と幼稚園の話

最近遠藤周作の本を読みあさっている。読んでいると、自分まで許されたような気がしてくるから不思議だ。キリスト教を題にした話が多いから、ふと通っていた幼稚園のことを思い出す。

私はキリスト教の幼稚園に通っていた。といっても私自身クリスチャンではなく町の唯一の幼稚園であったからで、まわりの友達も皆そんな理由だったと思う。だけど生活しているとキリスト教に触れる機会はたくさんあって、昼食の前にはお祈りをさせられたしクリスマスの式典みたいなのもやっていた気がする。

私は今では想像もつかないけれど小学生までは人気者で、私と仲良くした友達がいやがらせを受けたりしてた。でも本当はずるい子どもだったと思う。大人しいのは周りの顔色を窺ってたからで、優しいのも皆に嫌われたくなかったから。そういえば幼稚園でジャングルジムに上ったときおともだちを突き落としたことあったっけ。下手したら大けがしてたのに、こわくて「やってない」と言い張ってた。キリスト教では司祭に罪を告白する時間があるようだけど、これは許されない罪。

 

たぶん、ずっと覚えていて、ずっと重しになるであろう話。年長さんになると聖書の劇をやることになっていて、その役決めがあった。ある役を決める時に、男の子2人が手を挙げた。本当ならジャンケンとかで決めるはずだったんだけど、片方の男の子が辞退して、誰も希望していなかった役を希望した。先生たちはその男の子のことを凄く褒めてた。その後「天使」の役決めとなった。天使は女の子に人気で、私もやりたいと思って手を挙げた。天使は数人の枠があったのだけど、希望したのが1人多いことが分かった。そこで私は自分からやめますと言って、全然人気じゃなかった宿屋のおかみさんの役をやりますと言った。でも、先生たちは全然褒めてくれなかった気がする(このあたりは記憶があいまいだったけど、とてもショックだったことだけ覚えている)。私も本当はかわいい天使をやりたかったけどおかみさんになったのは、大人に褒められるいい子になりたかったから。劇で「商売あがったりだ~」と両手と片足をあげて言った時、客席からは笑いが起こったけど、全く嬉しくなかった。本当に嫌な子どもだったと思う。

 

久しぶりに相棒を観たけど、あんまりおもしろくない回だった。

ワイン評論家が、借金の担保にしていたワインコレクションをお金が返せなくて取られそうになって殺した話。

 

今日も生きたけど、明日はどうかな。