日記

インターネットではBが100悪いことはあんまりない

物心ついた頃からインターネットに身を置くうちに、人づてに得た情報だけでは判断しない癖がついてしまった。
たとえばAさんから「Bは悪いやつだから一緒に無視しようぜ」と言われても、「Bが悪いやつだ」と思える根拠を自分でしっかり調べてからではないと、なかなか「うん」とは言えない。

ところが最近のインターネットを見ていると「Bが悪い」という情報を見た途端に同じ熱で「Bは悪いやつだ!!!」と言える人がけっこういて驚く。「あの人が言っていたから」という理由で誰かを呪うくらい憎めるのはすごい。

もちろん、何もないところから怒りは沸いてこないだろうから、きっとBは悪いのだと思う。ただ、ほとんどの場合、頭に血が上ったAが話を大きくしていたり、少し勘違いしていたりする。特にインターネットの場合、その確率が高い。

だから、Aの話だけを聞いて、安易に無視という行動を選択をするのは危険だと思った(Aに協調するだけなら簡単にできるけれど、私も行動しなくちゃいけないなら話は別だ)。

そして、Bのことを調べるにも、Aの取り巻きばかりに話を聞くのでは意味がない。B側の話も聞いて、なるべく平等に見てから自分はどうすべきなのか、考えるように気をつけている(なかなか難しいところだけど)。

ただ、インターネット以外でもこういう考え方で生活するようになってしまって、度がすぎると私の周りから人がいなくなってしまいそう。

実体験として、大学のサークルに空気の読めない後輩が入ってきたときの話をする。
その後輩は周りにも迷惑をかけているらしいと人づてに聞いた。それで、サークル長である友人や同期たちが後輩を追い出そうという話をしていたのだけれど、私はつい「いきなりそれはひどすぎるんじゃない」と言ってしまい、サークル長に泣かれてしまった。
確かに客観的に見れば(どんな理由があるにしろ)大勢が1人に悪意を向けるようなことは見ていて気持ちがよいものではないけれど、サークル長にとっては泣きたいほど困っていたみたい(というか、私が後輩の肩を持つのが嫌だったらしい)。
私はその後輩がどうなっても関係なかった。知らない後輩と仲よしのサークル長、どっちを優先すべきかは決まってる。
でも、第三者目線で見てしまう癖が出て、友人をなくしてしまいそうになったという話。

私がよく「八方美人(これは悪口!)」と言われていたのもここから来ていることが多い。
言い訳すると、双方に理由があるのを知っていて、どちらにも納得してしまうから片方だけを選べない。
友人に泣かれても、仕事での立場が危うくなっても、この癖は抜けない。

ちなみに、人づてに聞いたときには簡単に信じられないのに、自分の目で見たものはすんなり信じてしまうので困っている。

たとえばAさんが私の前ですごくひどいことをしていたら、そのあとはずっとAさんはひどい人、というレッテルを貼ってしまう。もしかしたらAさんは、理由があってひどいことをしただけで、普段は優しい人かもしれないのに。
でも、どうしてもだめで、これは何年も仲がよかった人だったとしても一瞬で冷めてしまう。極端すぎるんだよな。私は私のことを信じすぎている。

最初の部分で「他の人から話を聞いただけで相手を憎めるのはすごい」と書いたけれど、そのほうが健全な気もする。
私の場合、本当に愛している人が血だらけになって「あいつに殺されかけている」と助けを求めてきたときにも「まあまあ、とりあえずまずはお互いの話を聞いて……」となってしまうわけだからな。
そんなのおかしいに決まってる。