日記

私の足は、死にそうな人がいても動かなかった

旅行先へ向かう車の中、私は助手席に座ってガイドブックを眺めていた。ふと運転している人の「えっ」という声とともに車が止まったので顔を上げると、道路の真ん中に、黒い部品のようなものが落ちていた。視線を右にずらすと、対向車線は少し渋滞しかけていて、渋滞の原因を作っていた先頭の車はちょうど私たちの真横に停まっていた。その車からおじさんが出てきて後ろ側に回り込んでいたのを寝起きの頭でボーっと眺めていたんだけれど、しばらくして、事故が起きたんだと理解することができた。原付バイクが横転していて、その少し離れたところでは、男の人が倒れていた。男の人は意識はあったんだけれど、その顔は苦痛に歪んでいた。腕を痛めたらしかった、立ち上がったんだけれどすぐに道路の脇にうずくまってしまった。私は、そこまで見て初めてやばいと気づいて、何かしなくちゃと思ったんだけれど、お尻は接着剤をつけられたように動かないし、やっとの思いで「電話、救急車、よばないとですよね」なんて言葉は出てきたけれど携帯を握りしめることしかできなかった。

運転していた人はそんな私を気にも留めず、すぐに車から降りて状況確認したり、電話をかけたりしていた。電話は119にかけているのがわかった。どうしてわかったかというと、携帯と車がブルートゥースで接続されていて、車の外で電話をかけていたのに車の中で繋がっていたから。車の中で「事故ですか、事件ですか」と話しかけられて、ああブルートゥースで繋がっちゃったんだなとすぐにわかったんだけれど、頭が混乱して私がそのまま「事故です。男の人が痛そうにしていて……」と話をしてしまった。外で電話をかけている本人は音声が聞こえないことになっているので、すぐに外に出て知らせるべきだったのに、そんなこともできなかった。話している途中で電話が切れて、運転してる人が車に乗り込んできた時も「何だか車の中で繋がっちゃったみたいです」としか言えなかった。そのあと後ろが通れなくなるから路肩に車を止めて、運転していた人はまた事故現場に戻っていった。すでに事故現場には、ぶつけたおじさんと運転していた人と女の人がいたので、私が行っても何もできないと思って車の中にいた。エンジンもかかってるし、盗まれるといけないから見張っておかなくちゃ、なんて言い訳をしていた。車の中では快適な温度に設定された空調がいい感じに効いていて、いま流行りの外国人アーティストの曲がいい感じに流れていた。

少しして、いてもたってもいられなくなって外に出た。事故を見た瞬間にはあんなに重かった体も、今度はするりと外へ抜け出すことができた。私は少し離れた安全な場所から、自分に全く関係のない救急車を今か今かと待った。最悪な話だけれど、私は、その男の人が心配だからというより、何もできない自分が惨めすぎて、早くこのイベントが終わってほしくて救急車を待っていた。右か左か、どちらから来るかわからないのでずっとキョロキョロしたり、事故現場を心配そうに眺めているフリをしていた。通り過ぎる車たちが、みんな私のことを見ている気がした。

しばらくして救急車が到着して、運転していた人がこちらに戻ってくるのを見たとき、私は心底ほっとしていた。原付の男の人は、腕の骨が折れているみたいだったと聞いて、あ、そうなんだ、でも大事にならなくてよかった、なんて返事してみたけれど、頭の中では別のことを考えていた。

私はせめて人並みに優しくありたいと思っていたけれど、本当に人が死にそうな時(死にそうではなかったんだけれど)、私って何にもしないんだなとわかってしまった。今まで道ばたで動物が死んでいたら悲しい気持ちになるし、子どもが転んで痛そうにしていたら大丈夫かななんて思っていたつもりだったんだけれど、たぶんそれはそういう自分を演じていたということなんだよな。大事にならないような、急を要さないようなことであれば余裕をもって心配することはできるけれど、今回のような、一か八かみたいのを目の前で見させられてしまうと動けなくなる。

今回の旅行だって本当はあまり気乗りしなくて、いろいろな計画を立ててくれていたのに、返事をあまり返さなかったりしていた。たぶん本当に優しい人ならばこういうのはキッパリ断るはずなのに、それすらもできなくてダラダラ続けてしまったりしている。本当に、こんな私のどこがいいのか全くわからない。その人は事故を見ても慌てずにちゃんと対処していて、とてもすばらしい人だなと思った。旅行の後もメールをくれたりしているけれど、返信をするたびに惨めな気持ちがよみがえってきてしまいそうで、画面を見るのも嫌になってる。