日記

長所も短所もない

 就職活動をしているとき、自分の長所が思いつかなくて困っていた。短所というものは際限なく出てくるのに、履歴書の長所欄はいつも悩みに悩んで「食べ物の好き嫌いがないところ」なんて書いたときもあった(ただ、食べ物の好き嫌いがないのは、結構すごいことだと思っている)。最近になって、私には取り立てて長所がないところが長所なのかなと思うようになった。就職活動のとき読んだ本に書いてあったのは、長所と短所は裏返しだということ。例えば行動力があるという長所は、せっかちだという短所にもなる。柔軟性があるという長所は、主体性がないという短所にもなる。私は長所がない代わりに、短所もない。まあ、極端に言えばだけど。
 客観的に見ても、私は人畜無害そうな外見をしていると思う。いわゆる、モブというか。モブは、どこにいてもおかしくない。だから、平日の昼間から割と自由にそこらへんを歩いているし、夜にフラフラしていても職務質問されたことがない。それから、私の性別は女だ。年齢は、結婚していても、していなくてもおかしくないくらい。「それなりの年齢の女性」というのは、人生で最も生きやすい状態だと思っている。私がもし20歳ほど若ければ、自分1人では何もできなかっただろうし、20歳ほど年を取っていれば、色々なものが重荷になって動けなくなっているかもしれない。もっと言えば、私がおっさんじゃなかったおかげで、乗り越えられている場面はたくさんある。だからおっさんはすごい。がんばって生きていると思う。
 外見だけじゃなくて性格も、ちょっと話しただけでは、それほどおかしいとは思われないはず。そうでなければ、ヤクルトのお姉さんに満面の笑顔を向けてもらったり、散歩中のおばあさんに話しかけられたりしていない。きっと「こいつなら、いきなり殴りかかってこないだろう」と思ってもらえているのだろう。なるべく平和に、誰も傷つけないような雰囲気を出せるのは、私の人生経験の賜物だ。ただ、子どもと猫だけには気をつけなければならない。あれらは勘が鋭いので、すぐに見破られてしまう。私は子どもと猫にあまり好かれない。その代わり、老人と犬には割と好かれる。
 今は、見た目と性格と年齢のおかげで、割と自由にやらせてもらっている。もう少ししたら、何かと背負わされて、どんどん背中が曲がってしまうだろうから、後悔のないように生きなければならない。きっと歳を取っていくうちに、長所なんてものはないまま、短所ばかり増えていくようになる。


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