日記

2021/06/11

めちゃくちゃに息を吸いこんで、全て吐き切るまでの間だけ文字を書こう。何年か社会人をやっていてもまだ、仕事を仕事として割り切ることができなくて、仕事で侮辱されたのが悔しくて仕方がない。昔、私が退職するきっかけになった上司にされ続けてきたことに似ていて、久しぶりに同じ気持ち。でも、どちらの人も私よりも頭が良くて、仕事ができて、確実に私より社会に必要とされている人だったので、やっぱり私に原因があるのだろうな。帰り道に、悔しくて少し泣いてしまったときも、休日、ベッドから起き上がれずに天井を見続けていたときも、相手は家で愛する配偶者と、愛しい子どもに囲まれて、穏やかに過ごしているのだと思うと、感情が溢れてしまいそう。これは前に書いたことだけれど、私に優しくない人は誰かにとっては優しい人で、必要とされていて、かけがえのない人で、そしたら仕方がないか。そんなことないよ。私は、なるべく人を不快にさせないように、傷つけないように細心の注意を払って生きているのに、どうして(いつも)こんなことになってしまうのだろうか。私は、そろそろ結婚したらとか、性のこととか、容姿のこととか、そういうことを何にも聞かないし、一生懸命に話している人を笑うとか、感情のままに怒鳴りつけるとか、そういうこと一切しないので、私にもしてこないで欲しい。それとも、本当は私も、無意識のうちに誰かを追い詰めてしまっているのかな。そうしたらやっぱり仕方がないことだ。因果応報という言葉が好きで、ちゃんとしていたら幸せになれて、ちゃんとしなかったら不幸になるなんて、とても分かりやすくて良い。ちゃんとしていても幸せになれないこと、多すぎる。同僚に、辞めたいなと言ったら辞めないでと言われた。そりゃそうだ。皆んな自分のことしか考えていない。じゃあ私もそうしたいけれど、さすがに、いまの仕事が続かなかったら本当に会社で働くのが駄目だということが決定的になってしまうので、それはすごく嫌だな。私を追い詰めてくる人、また新たな子どもが出来たらしくて余計に辛い。どう考えても必要で幸せになるべきなのはあちらの方だ。